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鈴木 謙介「ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで」

2015/04/30

ウェブに対するモヤモヤが少し、スッキリしました。

多孔化した現実

ぼくはスマートフォン必携、バッテリーが少なくなると不安になって仕方がないタイプの人間です。外部バッテリーも常に持ち歩いてるし、スマートフォンもよく見てる。もちろんそこでコミュニケーションを行っていることも多い。

ぼくを含めて、そんな画面ばっかり見てる人に向かって「そんなのはニセモノ。現実のリアルなコミュニケーションの方が大事」っていうのはカンタン。…でも、じゃあスマートフォン上で仲のいい人とのコミュニケーションはニセモノなのかっていうと、決してそんなことはない。

「いや、キミはわかってない。現実の人とはやっぱり……」と返す人がいたら、きっとぼくは「いや、だからあなたが今そうやって思えるのもこの記事を読んでるからでしょ、これがニセモノなの?」と返して、「いや…」「あの、だからさ…」と、お話は平行線をたどるばかりでしょう。笑

そんな二項対立で話が通じない→無効化したいまを「多孔化した現実」という言葉で表されています。
これまでの現実を基盤とはするものの、これまでの現実ではない「ヴァーチャルな要素」が入り込んでくる空間。親しみやすい言葉だと拡張現実、というところでしょうか。でも「多孔化」のほうがより具体的に思えます。

選びとるべきもの

ウェブが作り出した現実、それとそうではない現実、どちらが「ほんもの」なのか、ではなく、どちらが自分にとって・社会にとって大事なのかを選び取らなければならない。

…結構冒頭部分なんだけど、僕が一番考えさせられたのはここ。何をどういう理由で選んでいくのか…?

そう簡単に「なるほど、多孔化してるのか!じゃあ常にスマフォ見ててもOKだし、人が見てても仕方ない!」とは思えなく…。
やっぱり現実のほうが大事だと思ってしまうし、人と会ってスマフォばっかり触られてたらあんまり良い気持ちはしなかったり…。これまでの生活習慣や考え方、いろいろあるんでしょうけど。

これらの議論を元に、より具体的な話が展開されていきます。
この「多孔化」に限った話ではなく、何でもそうだけど、「そうするのが当たり前・常識」(スマフォのコミュニケーションはニセモノで、現実はあたたかみが…みたいな)と言われてる・思ってしまうことって実はとても脆い

ウェブについて云々というより、「そんなウェブが当たり前の社会をどう生きるか」というところでしょうか。
ウェブに興味がある人はもちろんだし、何かに対して違和感がある人には是非読んで欲しい本でした。

 

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